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橋下徹 週刊朝日 都知事 [・メディアとニュース]

「大阪維新の会」の橋下徹大阪市長の出自を巡る週刊朝日の連載記事について
東京都知事の石原慎太郎が「卑劣」と批判しています。


自身も作家である都知事は週刊朝日の記事の作者を問題視しているのですが
その佐野眞一について「同和や被差別部落の問題について強い偏見を持っている」としています。


石原都知事は自身も被害者の一人だそうですが
「父親の本籍地に出かけて石原一族は同和・部落ではないか」と
誘導尋問をしていたとの報告があったそうです。


さらに作家の深田祐介や山根一眞らの作品からの盗用があると
佐野眞一を卑しく卑劣だとも言ったそうです。


石原知事は会見の冒頭で
「友人だから腹に据えかねて申し上げる」と前置きしたそうです。


まあ
政治の世界は我々一般庶民には窺い知れない世界なので難しいです。


しかし
解散総選挙の時期を巡る鍔迫り合いが続くこの時期に
週刊朝日が橋下徹のネガティブキャンペーンをする狙いは?


さらにその橋下徹を友人だからと強烈に援護する石原知事の
真意はどこにあるのか?


日本の政治に愛想を尽かすのも一つの選択肢ではありますが
政治界の裏読みのような楽しみ方ももう一つの選択しなのでは?


遠隔操作 ウイルス 冤罪 [・コンピュータとインターネット]

遠隔操作ウイルスに感染したパソコンを使い犯行声明を行った事件で「冤罪」が発覚し
ネット掲示板が騒然としているそうです。


15日にTBS届いた真犯人からのものとみられるメールで事態は急変した様です。


と言うのも警察が「真犯人だ」と名乗るメールの送り主を真犯人だと断定したので
これまでの複数の事件で無実の2人が自白を強要されていた可能性が高くなってきたからです。


逮捕された明治大学の学生の場合は
横浜市のホームページに市内のの小学校を名指しして「襲撃してガキ共皆殺しにしてやる」と
書き込みした容疑で神奈川県警に誤認逮捕されたのです。


当初
容疑を否認していた学生も取り調べが進むに従って
「楽しそうな小学生を見て、自分にはない生き生きさがあり、困らせてやろうと思った」と
自白したとされていたのです。


でもこの学生が真犯人ではなく犯行予告を行なっていなかったのだとすると
この自白は「取り調べ」と称する闇の中の過程で警察が創作したものと考えるのが自然でしょうね?


ある警察幹部は
 「IPアドレスが判明すれば、捜査は半分終わったようなものだと思っていた。
想定外の事態ですよ」と漏らしたそうです。


これに対して
「ネット犯罪の手口は日進月歩。相手のパソコンを乗っ取るハッキングの技術は、ネット犯罪の象徴。
パソコンの普及とともにこうした犯罪が起きることは十分に予想できた」とは
サイバーテロの捜査経験者の警視庁OB。


結局
遠隔操作ウイルスを使った今回のの犯行予告事件では
少なくとも4人の冤罪を生み出しそのうち2人は「犯行」を自白したのです。


今後益々増える可能性のあるネット上の巧妙な犯罪に
関係機関は適切に対応して事件を解決できるのでしょうか?


西原理恵子 高須 熱愛宣言 [・エンタメ]

漫画家の西原理恵子(47才)と 高須クリニック院長の高須克弥氏(67才)とが
女性週刊誌上で熱愛宣言をしたと話題になっています。


これまでもお互いのブログに頻繁に登場していましたし
西原理恵子は事もあろうに高須クリニックのCMにまで出演しています。


高須克弥も西原理恵子ファンを公言していましたし
TV番組などでも好い雰囲気だったそうです。


ですから
2人が親しい仲であることは周知の事実でしたが
すでに交際は2年になると交際を認めたのは今回が初めてだそうです。


2人の付き合いは10年前に西原が週刊誌のエッセイに
「高須クリニックのCM」を取り上げたことがきっかけだたそうです。


でも
当時はお互いに結婚していましたし
男女の関係を意識することはなかったようです。


その後
西原は2007年に元夫をがんで亡くし
高須氏も2010年に妻を亡くしているそうです。


西原のコメント
「残された者同士っていうか。つっかえ棒みたいな…。ホホホホッ」は
良くはその辺の事情を説明しているようなのです。


ところで
西原は2007年に元夫をがんで亡くしていますが
その前夫と最後の半年過ごせたのは高須院長のお陰だそうです。


西原氏は1996年に結婚して20003年には離婚しています。
原因は元夫のアルコール依存症とDV。


しかし
離婚から3年後の2006年になって
がんになった元夫から復縁を求められた時に相談した高須の答えは
・家に戻りたいと言った元夫を「家へ迎えてあげなさい。」
・「彼のためでなくあなたが後悔しないために。」
だったそうです。


お陰で元夫の最後の半年間を家族は喧嘩もせずに
家族が揃ってご飯を食べるという生活を送ったのだそうです。


この当たり前のことが
「とんでもない育ち方をした」西原と元夫にとっては初めての経験だったそうです。


そんな出来事が2人を結びつけることになったとしても
名古屋を本拠にする高須院長と2人の子供と東京で暮らす西原。


この熟年カップルの遠距離恋愛はまだ続きがありそうですね。


紳助 復帰 諸説紛々 [・エンタメ]

島田紳助の電撃引退から1年が経って
またぞろ紳助の芸能界への復帰説が浮上してきています。


今回の新説は
「吉本舞台公演で紳助復帰!」というもののようです。


某週刊実話によれば
大コケしている『吉本百年物語』で復帰との情報のようです。


ご存知の通り吉本興業は創立100周年を迎えて
その記念公演をなんばグランド花月で4月から始めています。



この『吉本百年物語』は公演期間が1年間という長丁場で
お客さんの入りも芳しくないのだそうです。


そこで「紳助復帰説」となるのですが
「紳助をゲストで出演させれば
お客さんも喜んで足を運んでくれるだろう」と。


スポンサーが敬遠して話が進まない「テレビの特番」とは違って
『吉本百年物語』ならその心配も無いわけです。


記念公演の不入りが長引くほどに
「紳助復帰説」は勢いを増しそうなのです。


ところで島田紳助本人はどう考えているのか
ちょっとだけ気にはなりませんか?


どこかのインタビューでの発言では
芸能界への復帰は99%無さそうです。


と言うのも
本人が復帰しない訳をこのように言っているのです。


「さんざん悪し様に書かれて如何に嫌われているかが解ったからには
今更オメオメと戻る必要はない。」


「こんな世界だったのは終わるまでは気づかなかった。」


とは言うものの
世の中には未だ島田紳助で稼げると
考える人がいるのも事実のようです。


そこで出てくるのが
島田紳助の引退宣言からの1年を追った
ドキュメンタリー特番というプランで
すでにその撮影は進んでいるらしいのです。


そして特番に対する反応によっては
本格的に復帰のプランを進めるというものだそうです。


本当に島田紳助のあの顔を再び観ることがあるのでしょうかね?


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オルフェーヴル 凱旋門 動画 [・趣味とスポーツ]

オルフェーヴルはフランスのロンシャン競馬場で7日に開催された
凱旋門賞にスミヨン騎手の手綱で出走して
惜しくも2着に終ったそうです。


勝ったのはフランスの4歳牝馬ソレミアで
僅かに首の差でかわされたのですが
なんとも悔しい負け方と言えそうです。


オルフェーヴルは日本競馬史上7頭目のクラシック三冠馬で
直線での瞬発力は世界にも十分に通用するレベルだそうです。


では
今回の敗因は何所にあったのでしょうか?


過去にこの凱旋門賞を2度も制しているスミヨン騎手は
「ほかに、もっと強い馬がいなかったので、簡単に先頭に立ってしまった。そのぶん、最後まで頑張れなかったのかもしれない」とコメント。


レースを見ると確かに
完全な独走体勢に入った後に徐々にスピードが鈍っているようです。
強すぎる故の落とし穴だったのでしょうか。


また
調教師の池江泰寿のコメントも辛いものが感じられます。
「無念です。(馬が)苦しいというのもあるが、
斜行癖を修正しきれなかった」


確かにトップに躍り出てから大きく内に切れ込んでいましたね。


こうして
今年の凱旋門賞にかけたオルフェーヴルの夢は
来年に持ち越されました。


スミヨン騎手のこのコメントは嬉しいです。
「僕が今まで乗ってきた中で、最高の馬だと思う。
来年も凱旋門賞に来てもらいたい」。


過去に自身の手綱で凱旋門を制したダラカニやザルカヴァを
超える評価なのです。


来年のリベンジに期待しましょう!





ノーベル賞 2012 山中伸弥所長 [・科学と技術]

京都大学の山中伸弥・iPS細胞研究所長(50)の
2012年のノーベル生理学・医学賞受賞が発表されました。


日本のノーベル賞受賞者は10年に化学賞を受賞した
根岸英一・米パデュー大学特別教授と鈴木章・北海道大学名誉教授以来
2年ぶりのことだそうです。


また
生理学・医学賞では1987年の利根川進・理化学研究所
脳科学総合研究センター長以来2人目となるそうです。


山中所長への授賞理由は様々な細胞に成長できる能力を持つ
iPS細胞の作製ですが
2006年に世界で初めてマウスの皮膚からiPS細胞を作りだし
翌2007年にはヒトでも成功していました。


このiPS細胞の特徴は心臓の筋肉や神経細胞など
様々な組織に成長できることです。


さらに重要なことは
患者本人の細胞を使うので移植しても拒絶反応が起きない点でしょう。


この技術は早くから再生医療への応用が見込まれていましたが
病気やケガで損なわれた臓器を修復出来るという夢のような技術です。


山中所らがマウスのiPS細胞の開発を発表したのは2006年。


心臓だけではなく骨・神経・肝臓・血液など
動物の体を構成するどんな細胞にも分化できる能力を持ちます。


このことから人工多能性幹細胞と名付けられましたが
iPS細胞とは英語表記に由来するものです。


もっともiPS細胞以前にも万能性を備えた細胞はありました。
それは受精卵をもとにした胚性幹細胞(ES細胞)です。


受精卵にはもともと全身の細胞や組織に成長する能力が備わっていますから
ES細胞が万能性を持つことは当然のことなのです。


ところが
山中所長らが作ったiPS細胞はもとはマウスや成人の皮膚細胞で
いったん完全に分化した細胞がわずか4つの遺伝子を導入するだけで
受精卵と同様の万能性を獲得するというもの。


通常の発生のシナリオでは
1個の受精卵が多様な細胞に分化して様々な臓器や組織を作り
個体を形成するわけです。


ところが山中所長はこのシナリオを逆転させた訳で
皮膚の細胞から万能細胞を作り出したのです。


すなわち生命のプログラムを巻き戻せることを示して
生物学の常識を覆したと言えるのです。


山中所長は今年6月にはiPS細胞を再生医療に応用する際の
最大の懸念となっていた発がんリスクを大幅に下げる手法を開発したと
発表しています。


着実に進んでいる研究に世界中の熱い視線が注がれているのです。


山中伸弥・iPS細胞研究所長と彼のチームの活躍に乾杯!


北野武 映画 [・芸術]

スギちゃんは例の事故から26日後にスピード復帰を果たして
全身にコルセットを巻いて復帰会見を行たばかりですね。


なのに早くも復帰後テレビ初登場でした。
笑っていいとも!ではネタを披露した上にジュニアとハイタッチなどをして
最高の快調ぶりアピールでした。


そんなスギちゃんの目下の悩みといえば
ブログには自分のことを“消える、消える”という大量の書き込み。


これに対してビートたけしのアドバイスは
「お笑いを本業にできなかった悔しさをネットにぶつける。
その矛先がスギちゃんに向かっていたとしても
「夢が叶わなかった人の特権」だと気にしないように。


いわば『R-1ぐらんぷり2012』の準優勝者故の悩みだと言う訳です。


「消える」とは芸人として売れた証拠でもあって
「卑屈になることはない」と言うのがたけしの心ではないでしょうか。


芸人はいかに見ている人に笑ってもらえるかが全てで
たけしが今のスギちゃんならケガが完治していないことをネタにして
「痛えじゃないか、この野郎! 近づくんじゃねぇ」と暴れるそうです。


ところで
たけしはもう一つ映画監督と言う顔を持っています。


今年は西田敏行も参加して『アウトレイジ ビヨンド』で
ベネチア国際映画祭に参加しましたね。


「文部科学省選定みたいな映画ばかりに出てきたから
どこまで悪役ができるか挑んでみたかった」と言う西田敏行。


その西田敏行は被災地東北出身なのですが
「福島の人にしてみれば震災から1年半が経つのに
何も進んでいない感じ」だそうです。


北野監督も震災後の日本の状況についてコメント。
「イライラしているのはわかる。
“絆”だ“愛”だというけれど何もできていないな」と。


たけしと言えば
歯に衣着せずにズバッと核心を突く発言が持ち味ですが
大津市の中2男子がいじめを苦に自殺した悲劇にも言及しています。


「言いたいことはいっぱい」のたけしは限られた時間の中で
・輿石東民主党幹事長は「日教組」なのに何故この大問題に何も言わ
ないの?」
・文科省が中学校で“武道・ダンス”を必修化したことに対しては
「先に昔から受け継がれてきた礼儀作法を教えた方が良い」

根底に流れる
「相手を大切に思うこころ」を大切にと言う考え方は
「学校の先生だけでなく親もおかしくなっている」との思いからか。


また
先生から“罰を与える”権限を奪ってしまったこともマズイとも。


番組司会の安住紳一郎アナも
「確実に彼はいじめを苦にして自殺していますね」と言い切ったそうです。


このように
たけしのような健全で強靭な精神が
多くの心を目覚めさせる原動力になることを期待したいですね?


たけしより北野武が好き?



アイヌ民族 芸能人

アイヌの治造こと浦川治造さんの姿を追ったドキュメンタリー映画
『カムイと生きる』のナレーターは俳優の宇梶 剛士でした。


この映画の主人公浦川治造は彼の叔父に当たります。


映画は浦川治造さんの生きる姿をとおして
・北海道の雄大な自然
・厳かな響きの言語と唄と古式舞踊など
アイヌの伝統と文化を紹介しています。


そしてアイヌらしい生き方を意味する「アイヌプリ」そのものを
理解することができるように描かれているそうです。


宇梶 剛士は叔父の治造さんについて
・山みたいな大きな存在
・山に入って鹿を追うのも得意
・とにかく何でもできる人
と表現しています。


これは治造さんが
アイヌらしい生活をすることができたからです。


すなわち
アイヌの男も女も自分と自分の役割について
親を含む年長者から直接教えられて身につけるものでした。


北海道の各地にあるアイヌ民族博物館には大抵
・カムイとアイヌの意味
・川を遡上してくる鮭の取り方
・仕掛けた罠で熊を射止める方法
・海に出てのマグロ漁の様子
などの展示があります。


これらは
親から子へと受け継がれてきた知恵や技術だったのでしょう。


ですから
宇梶 剛士はアイヌとして
本物のアイヌである治造さんを心から尊敬していたのでしょう。


ところで
彼は俳優になる前は暴走族だったのですが
家に不在がちだった母親の宇梶静江はアイヌの詩人でした。


同時に
古布絵作家でありアイヌの民族運動家でもあったそうです。


アイヌの歴史を見ると
明治以降の同化政策の被害者としての
悲惨な姿が明らかになってきます。


一例を挙げると1899年に制定された
「北海道旧土人保護法」という凄い名前の法律がありました。


この法律でアイヌは「旧土人」として
「保護」という名の差別を受けました。


アイヌの子供たちは
アイヌだけが在籍する「旧土人学校」で
日本語だけの教育を受けつづけましたので
アイヌ語は日常言語としては死滅寸前にまで追い込まれたそうです。


そんな歴史から現実に目を転じると
韓国や中国やロシアという近隣諸国との間で
領土などの問題が改めてクローズアップされています。


そして日本も
過去に琉球王国を併合しアイヌを抑圧してきたなど
加害者としての歴史を持っています。


これらのことを考えると
いまは過去を振り返りながら
国とは何か民族と文化とは何かを
問い直すべき好機ではないでしょうか?


壇蜜 映画 [・芸術]

壇蜜はグラビアアイドルで女優ですが目下大ブレーク中ですね。


デビューしたのは29歳と早くは無いのですが作品がすべて大ヒット!と
まさに快進撃中で瞬く間にトップグラドルになりました。


初の主演映画『私の奴隷になりなさい』は来月に公開予定で
原作はSM小説で「過激バイブ調教シーン」が大いに話題になりそうです。


ところが
福山雅治はそんな壇蜜をあまりにも好きすぎて
ブレークしている今の状態が我慢出来ないらしいと言われているそうです。


あの43歳にして独身の人気歌手の福山雅治は
壇蜜を最初に見つけたと自負しているのだそうです。


でも
最近はリリー・フランキーやみうらじゅんが発掘したように言われていて
そのことが福山雅治にはたまらなく歯がゆいらしいのです。


しかし
当の壇蜜はどうなんでしょうね?


ある雑誌のインタビューで
「男性のオナペットになりたくてこの世界に入った」と告白しています。


また
壇蜜は妖艶な“次世代のエロス女王”の自覚も十分で
「ヌケるグラドル」評にも
「すごくうれしいです。そう言っていただけることがやりがい。」とも。


だから
イベントなどで
「私のDVDを見てハァハァしてください」って言うんだそうです。


彼女の公式プロフィールには
日本舞踊名取・英語教員免許・調理師免許とあるそうですが
これらの資格などは当分必要はないでしょう。


ところで
壇蜜の育ってきた世界は
「あれはやっちゃだめ、これはやっちゃだめ」だったそうで
これからも大きな反動を期待してもいいのではないでしょうか?


最近秋葉原で発売記念イベントが行なわれたのは
壇蜜の7枚目のDVD&ブルーレイ「色情遊戯2」です。


彼女の説明によれば
「『透ける』をテーマにした内容は過去最大級の露出」だそうです。


そして彼女の為に作られた
「チャイナドレスのシーン」が最大の見どころだそうです。



大滝秀治 北の国から [・メディアとニュース]

民芸代表の大滝秀治(おおたき・ひでじ)さんが2日
肺扁平(へんぺい)上皮がんのため都内の自宅で死去しました。87歳。


近親者のみで葬儀を終えて
22日には「お別れの会」が南青山の青山葬儀所で予定されています。
喪主は妻純子(じゅんこ)さん。


民芸によると
2012年2月頃から体調不良のため
入院して治療を受けていたようです。


その後
夏には肺炎を併発しましたが病状も安定して
退院して自宅で療養していたそうです。


そして亡くなる前夜も
家族と共に食卓を囲んで好きなお酒も召上ったそうです。
そして翌日の午後に静かに眠るように息を引取られたそうです。


これは人生を精一杯に生き抜いてのまさに大往生でした。


また
ご家族によると
・病気で身体を蝕まれる恐怖以上に仕事ができない事が辛そうだった。
・心から信頼出来る医者と看護婦に出会えた事で
 わがままを云いながらも普通の生活を最期まで送る事ができた。
・こんなに家族とべったり過ごした事がなかったので
 「病気になるのも決して悪い事ばかりじゃないね」と言っていた。
・難しい本を読みあさっていましたが最後に手に取ったのは
 赤塚不二夫の『これでいいのだ』。
・まさに『これでいいのだ』と笑顔で穏やかに旅立ちました」。


俳優としての大滝秀治は
その徹底した人物造形が特徴で
年とともに渋味が加わってテレビや映画で
貴重な名脇役として活躍しました。


・少し古い75年のNHK連続テレビ小説
 「水色の時」の医師役で注目を集めました。
・北海道の駐在所勤務の警官を描いた
 「うちのホンカン」シリーズでは見事に主演を演じました。
・お馴染みの「特捜最前線」のベテラン刑事役。
・「北の国から」


また
本業の民芸のお芝居でも大活躍でした。


・「審判」の演技で紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞。
・「巨匠」・「浅草物語」で05年読売演劇大賞と最優秀男優賞を受賞。
・「らくだ」で09年度の文化庁芸術祭賞大賞を受賞。


合掌。


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