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尖閣諸島 歴史 地図   [・メディアとニュース]

尖閣諸島の所有権を野田政権は20億円で購入したそうです。


このことを引き金に
中国の反日デモが過激化して
両国の友好関係は危険な状態のようです。


また
国連総会での両国の主張は
真っ向から対立しているようです。


でも妙なのは
「中国政府が尖閣諸島を日本の領土と認めていた」と
専門家が言いその証拠もあるらしいことです。


ジャーナリストで『日本人が行けない日本領土』という本の著者
山本皓一さんは約100年前の出来事を例にあげています。


それは
1919年のことで
中国・福建省の漁船が難破して漂着した31人を
魚釣島の日本人住人が救助したそうです。


ポイントは
この件で中華民国の長崎領事が島民に送った感謝状には
『大日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島』と記されていたそうです。


これは
当時の中華民国が明らかに
尖閣諸島を日本の領土だと認めていたからでしょう。


また中国や台湾が発行していた中国の地図でも
1970年以前のものでは
尖閣諸島は日本の領土と記されていたそうです。


ジャーナリストで『ひと目でわかる日韓・日中 歴史の真実』の著者
水間政憲さんによれば尖閣諸島が日本の領土として『魚釣島』『尖閣群島』と
日本名で表記されているそうです。


それは
1960年4月に出版された『世界地図集』では
尖閣諸島は『魚釣島』『尖閣群島』と日本名で表記されて
日本の領土として表記されているそうです。


「中国の地図は皆国定なので
中国が尖閣諸島を日本の領土だと認めていたということです。」


では中国は何故
「尖閣諸島は日本が清から略奪したもの」とまで主張して
尖閣諸島を国有化した日本政府を激しく非難するのでしょうか?


台湾と中国が唐突に領有権を主張し始めたのは
1971年のことです。


その理由と考えられるのは
が1968年に発表された国連の極東アジア経済委員会の
調査結果でしょう。


その内容は
「東シナ海に中東に匹敵するほどの
石油資源が埋蔵されている可能性がある」というものでした。


1970年以降の地図では
国境線を尖閣諸島の東側へ移動してまでも
領有権を主張するのは石油資源だったということになるのでしょうか?


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